だーりん。 天国へ旅立って一週間・・・ |
へすびーのいないお部屋... うちじゃないみたいで全く落ち着きません。
狭いはずなのに、こんなにガラーンとして広かったっけ?・・・仕事から帰宅した彼も同じことを言いました。だーりんの存在って、私たちにとっては当たり前で 本当にとてつもなく大きかったんだなぁって・・・改めて感じました。
18年間ずーっと一緒だったものね。
本当に本当に... あっという間でした... 本当に。
3/27のだーりん。このたった3日後に天国に行っちゃうなんて...
前回のブログをUpした翌日27日(月)、へすびーの後ろ足がもたつくようになりました。そしてその夜には引きずるように。それでも前足だけで頑張って歩きながらトイレへ向かおうとするだーりん。でもリッターBoxへは自分で入ることが出来なくなってしまいました。この日からBoxをリビングへ移動させ、私たちが抱きかかえてBox内に入れてあげたのですが、だーりんの中では「ここはトイレじゃないニャ!」と思うみたいで、何度入れても排泄はしません。そこから這って出て、トイレがあるいつもの場所へまた行こうとします。慌ててBoxを戻したのですが、間に合わずトイレの一歩手前で排尿。そしてまた自力でリビングへ戻ろうと歩き出した途端、力尽きてしまったのか、そのまま真横に倒れてしまったんです。「へすびー!!もう無理しないで!頑張らなくていいんだよ!!」
倒れた直後はピクリとも動かず、一瞬ホントにもうダメだ!と大パニックになり号泣してしまった私。だーりんの前では絶対泣かない!って決めてたのに、もう我慢の限界でした。すぐに彼が抱き上げてリビングにあるへすびーのベッドへ寝かせて... しばらく横になった後、んん?ニャんだ?という顔をしながらムクッと起き上がったへすびー。あのときはホントどうなるかと思いました。
同じ27日から、あれほど好きだったk/dドライフードを完全に食べなくなりました。そしてお水も飲まない。日本の高齢猫用ウェットごはん(銀のスプーン・20歳を過ぎてもすこやかに・まぐろのパウチ)だけ、ボウルを口元へ持っていくとちょこちょこと食べてくれました。歩行困難になってしまったので、トイレだけでなく、自分からごはんを食べに行くことも出来ない。介護が必要だし、これではひとりぼっちには出来ないので(この日まで仕事はオフだった)すぐさま会社の上司に連絡して、28日からも引き続きお休みをお願いしました。
そしてこれまでへすびーのお気に入りだった特製テントは撤去。歩行困難になったへすびーが、万が一テント横に置いているオイルヒーターに寄りかかったり、当たったりしないようにするためです。目が離せないので、リビングルームにベッドマットを敷き、私たちもこの日からだーりんの側で寝ることにしました。そしていつでもここでおしっこしてもいいように、(ペット用トイレシートを用意してなかったので)大きなゴミ袋を割いて広げ、ペーパータオルを敷き詰め、その上にシーツをかぶせて。そこで私、へすびー、彼、家族2人+1匹で川の字。まだ元気だった頃、ベッドにポンと飛び乗ってきていたときは よくこうやって川の字で寝ていたなぁって懐かしみながら...
翌28日(火)からは、もうウェットごはんも食べない、お水も飲まない、後ろ足だけでなく前足の力も入りにくくなってしまいました。何度も引き留めるのですが、それでも頑張って動こう、歩こうとするへすびー。お水はスポイトでかろうじて数滴程度。皮下輸液をしているからか排尿は日に何度かありました。先週22日(水)にも病院へ行きましたが、明らかにそのときよりも更に容態が悪化しているので、もう一度病院へ連絡を入れてへすびーを連れて行きました。
先週と同じく医院長が診てくれました。診察台では前足で身体を支えようとするも、前へ滑ってしまう。ごはんもろくに食べてないから、力が出ず衰弱、それに加えて心臓、腎臓、腸も・・・限界にきているのでしょう。歯茎を見て貧血は進んでいるようでしたが、口内炎はなし。そして聞いてもないのに「もうこの先は短いと思います」と。あれからだいぶ気持ちを追いつかせて、私自身覚悟というか、分かっていたことでしたが、そう余命宣告されてしまうと・・・またしても涙が溢れてしまいました。そして更に追い打ちをかけるように「安楽死という選択もありますが・・・」 最初は何てことを言いだすんだ?と思いましたが、(今思えば)長年緊急病院で動物たちを診てきた医院長は、きっと泣いている私を想って言ったのかなと。近いうち、へすびーがどんな最期のときを迎えるのか、これから目の当たりにする状況を、この子(私)は耐えられるのだろうか・・・?
へすびーは手足は不自由になってしまったけれど、顔や表情、見た目はいつものかわいいまま。意識だってしっかりはっきりしているし、苦しんだり痛がったりしている様子もなし。目だってちゃんと見えてるし、よだれが出てるとか嘔吐や吐血、血尿等も全くなし。すっかり痩せ細ったと思ってた身体もそこまででもなかったし(この日の体重は8.8LBS)、こんな状態で安楽死なんて絶対考えられない!うちで看取ります、と伝えました。
医院長は私の思いを理解して、「お水は無理に飲ませないで。脱水が進んでしまうので、皮下輸液は朝晩2回に分けてあげましょう。今夜は100ml、朝は50mlにして1日150mlは超えないように」と最後の指示をくれました。とにかく最期は安らかに、苦しんでほしくない、私の願いは本当にただそれだけでした。
この日の夜、産休中の主治医からも、病院から連絡が来て心配になって・・・とメールが来ました。「へすびーは長い間本当によく頑張ったと思います。とっても愛嬌があってかわいくて、そして強いコでした。(中略)とても悲しいことだけれど、動物たちは自ら永遠の眠りにつくのが近いことを理解しています。そして今はもうそのときが来ています。もし楽にさせてあげる決心着いたら、私も病院へ出向いて一緒に立ち会うのでいつでも連絡してください」とありました。愛するコが苦しまずに、またそれを見ることなく すぅっと眠るように逝かせてあげる・・・それもエンディングのひとつでもあるのかもしれません。現時点で発作や痙攣がある、痛がって辛そう、意識がなく既に昏睡状態ならもしかしたら考えたかもしれないけれど、あのかわいい顔、じっと私を見つめる目・・・やはり決心は着かなかった。
29日(水)の朝、50mlの皮下輸液。前夜入れた100mlは水を飲んでいないので吸収されていました。排尿はまだしっかりあります。へすびーの腎臓は最後に一生懸命働いてくれているのでしょう、まるで水みたいだったおしっこには 微かに色と臭いがありました。それを見てまた胸がぎゅーっとなったのですが、愛しくて愛しくてたまらなかった。
輸液の後、爽やかな朝日の下でくつろぐだーりんの手をとって写真を撮りました。何度このかわいい手にチューしまくったでしょうか。ぷにぷにした柔らかい肉球を頬に当てたり、吸いついたり、匂い嗅いだり。ホントへすびーの全てが愛しすぎでした。
その後、日中は陽当たりのいいリビングの窓辺で寝っ転がっていました。ときどき目覚めては自分から寝返りをうとうとするので、私もそれをお手伝い。でもちょっと動くだけで、息切れをするようになりました。そのときはちょっと苦しそうでしたが、寝てしまうと普段の呼吸に戻ります。
午後になり、だーりんは掠れた鳴き声になりながら、また自力で起き上がろうとしました。またトイレのところへ行きたいのかな、と思ったら、私たちのベッドルームへ這って行こうとします。猫は身体が弱ってくると、外敵から身を守るために暗く静かで涼しいところへ移動する、といいます。ときにそれは死期も近いことを意味するそうで、まさにそれかと思いました。生憎モノで溢れている我が家は、隠れ場所もないし・・・「へすびー、リビングへ戻ろうよ」と向きを変えたら、そのままリビングにあるベッド上へ。また息切れしていたので、「もうここでゆっくりしていようよ、へすびー」と撫でてあげて寝かしつけました。
ちょうどそのときのだーりん。バスタオルの上で手を伸ばして... この体制が一番ラクだったみたいで、このあとスヤスヤと眠りました。
ここ数日お昼に出勤し、夕方には帰宅してくれた彼を「待ってました!」と言わんばかりに、目を輝かせていただーりん。この日もすっかり弱々しくなってしまったけれど、自らまた這いつくばって彼の膝上に乗ろうとしてきます。彼がへすびーをラクな体制にしてあげて、優しく撫でて・・・
今までずーっと毎晩欠かさず彼の膝上に乗っていただーりん。両手をだらーんとさせて甘えてました。普段と変わらないいつもの光景なのに、これがいつも以上に愛しくかわいく見えて、思わず手にしていたiPhoneを向けました。そのときの写真が、だーりんを撮る最後の写真になってしまうとは・・・このときは全く思ってもみませんでした。
つい先日「今週はずっと晴れマークだよ、だーりん。大好きな日向ぼっこがいっぱい出来るね。良かったね、へすびー!」と話していたのに、あの日は未明から予期しなかった雨が降り続け、風も強く、リビングでうつらうつらしてた私はその音で目が覚めました。ちょうどそのとき、隣で寝ていたへすびーの容態が急変...
今から19年前の1998年8月、LAのアニマルシェルターでケージから出してもらって、生後4カ月のへすびーをまず胸に抱き上げたのが彼でした。
最期はそんな大好きな彼に抱きしめてもらって両腕の中で、私はだーりんの両手を握りしめ・・・18年と11カ月の猫生を力強く生き抜いて、へすびーはすぅっと天国へ旅立って行きました。その途端、降り続けていた雨が止み、眩しい朝日が曇の間から見え始めたのでした。
病院が開く時間まで待って電話をし、その日のうちにへすびーを病院へ連れて行くことになりました。彼がへすびーをブラッシング、きれいにしてくれている間に私はお花を買いに外出。外はもう雲ひとつない青空が広がっていました。そんな青空を見上げながら、涙を頑張ってこらえるのですが... ダメでした。
お昼近く、ブランケットに包まったへすびーを私が抱いてうちを出たとき、アパート管理人スティーブに会いました。LAからここへ引っ越してきて15年、以来へすびーのこともよく知り 可愛がってくれてたスティーブはその場で号泣、そしてまた私も号泣... うちのアパートは全世帯(4ユニット)に猫がいる通称ニャンズ・アパートで、管理人のスティーブ&アラーナももちろん大の猫好き。<数年前に口内癌で愛猫を天国へ見送ってから、またベイエリアにあるSPCAから2匹の猫を家族として迎えています。
スティーブは泣きながら、この庭にへすびーのお墓を作りたい、と必死に提案してきましたが、私たちもきっといつかはここを出ていくことになるからね。その気持ちだけありがたく頂戴しました。
病院では、長年お世話になったスタッフ、ナース、ドクターたちが次々とへすびーに会いに来てくれました。そして涙を流しながらハグ。「へすびーは長い間本当によく頑張ったね、本当にラブリーでいいコだったわ・・・」
気持ちを何とか追いつかせて、心の準備もしていたとはいえ、やはりこの現実を受け入れるのは辛すぎました。本当はそのまま週末まで申請していたオフでうちにいようかと思いましたが、だーりんのいない部屋にずっとひとりでいる方がもっと辛いと思い、上司へ連絡して翌31日から仕事へ復帰することに決めました。
もちろん通勤の車の中で、オフィスで心配してくれていた同僚たちに会った瞬間、もう涙が滝のように出て止まらなかった。皆が強く抱きしめてくれ、一緒に泣いてくれた人も何人もいて。仕事をしていたら少しは気も紛れるだろうと思ったけれど、さすがに翌日は・・・結局あちこちで慰めてもらっては泣き、の繰り返し。
だって、この血圧測定の再検査からちょうど2週間後だもん、へすびーが天国へ行っちゃったの・・・そんなこと、全く想像出来なかったです。本当に突然過ぎました... 未だ信じられない気持ちです。
この一週間、友達や同僚、職場の仲間たちからたくさんのカードをもらいました。散々慰めてもらったり、抱きしめてもらったのに、さっとカードを手渡してくれ、そして元気を出してね、とギフトまで・・・ へすびーと私へのハートフルなメッセージにまたウルッときちゃうのですが、皆の優しさのお陰で気持ちもだいぶ落ち着きました。いつまでもメソメソしてたら、へすびーだって心配しちゃいますね。
Twitter、メールでメッセージを送ってくださった皆さまへ。
おひとりおひとりにお返事出来なくて申し訳ございません。皆さんからの温かいお言葉、しっかり心に沁み込みました... 本当にどうもありがとうございました。この場を借りて御礼申し上げます。
to be continued...